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少年タチノ想ヒヲ思フ。
2015-02-14 Sat 03:16
本来ならば教習日記1段階目のお話のはずだったんですけれど
本日はお休みさせて頂きます。


代わりと言ってはなんですが
年末に行こうと思っていて、延び延びになっていた所へ行って参りましたので
今回はそちらの方をUPさせて下さい。


ちょっと重い内容になってしまうのでこれより先はスルーして頂いても構いません。

私が訪れたのはこちら茨城県阿見町にある


「予科練平和記念館」



自宅からたった20分程の距離なのに訪れた事がなかったんです。
以前から興味はあったんですけれど、近いとね。何故か足が向かない。


年末にゆーきさん、さとるさんと記念館の外に展示してある
「人間魚雷・天回」をバックに記念撮影をしに行った時に、今年中に館内も見たいなぁ
なんて思っていたら年を越してしまい、はや1ヶ月と少々。


今週の水曜日は祝日で会社もお休み。前日の天気予報では3月並の気候になる!
なんて聞いていたもんですから、チョイツーに行くついでに寄ってみようという事で行って来ました!


こちらは記念館になります。


IMG_5363.jpg


空を感じさせることを大切にした建物だそうです。
館内からも空が見えるように設計されていてとっても明るい。吹き抜けがいっぱいあるんです。
一般の入場料は¥500。割引制度もありました。


IMG_5432.jpg


パンフレットを頂き順路に沿って進んで下さいと説明を受けます。


IMG_5433-crop.jpg


フロアが7つの空間に分かれているのにはこんな理由あるんです。


予科練生の憧れだった7つボタンの制服にちなんでいるという事。
世界の7大洋を表したもので海を越えて大空を駆け巡る期待が込められているそうです。


館内では撮影が禁止されていましたので今回は写真が無いんです。
分かりづらいと感じるかもしれません。申し訳ないです。
別館での写真は撮影してきましたのでそちらをご覧下さい。


まずは「予科練」とは何か?説明しなくても皆さんご存知でしょうけれど
パンフレットに書いてある事を紹介させて下さい。



『「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降
航空機の需要が世界的に高まり、欧米列強に遅れまいとした旧海軍が
より若いうちから基礎訓練を行って熟練の乗務員を多く育てようと
昭和5年に教育を開始しました。
14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し
搭乗員としても基礎訓練をするもので、飛行予科練習制度が
始まってから、終戦までの15年間で約24万人が飛行練習生過程を経て
戦地へ赴きました。
なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く
戦死者は8割の1万9千人にのぼりました。』



これだけ読んでも胸の中が灰色になる。
なんとも身勝手な。


殆どの予科練生は「大空を飛びたい!」という思いを胸に入隊したんです。
家庭の事情でやむを得ずと言う子も中にはいたようですけど。
爆弾を背負って敵艦に突っ込むなんて思ってもいなかったでしょう。


「入隊」のコーナーには入隊を許可された子達の揺れる想いを綴った手紙などが沢山展示されていました。
皆、この時点では期待に胸を膨らませて希望に満ちているんですよね。
敵を沢山やっつけてお国の為に頑張って来ます!って家族に宛てて手紙を書いているんです。


「訓練」のコーナーには予科練での厳しい生活の様子が展示されています。
黒板に見立てた展示物には


「月月火水木金金」毎日訓練。寝るまで訓練。


と書いてありました。キツイっす。
1週間の時間割には意外な事に数学や英語などの教科も含まれていたんです。
訓練生には甲と乙の2種類があって、甲に選ばれた子達が数学などの授業を受けていたみたいですね。


当時の訓練の映像が流れていたんですけど、ふんどし一丁で高飛び込みをしたりボートを漕いだり。
なんでこんな事してんだろう?って疑問に感じたんです。
潜水艇の上から飛び込むと仮定した練習だったり、、協調性を高める訓練なんですって。
最終的には1人で飛行機に乗るのに協調性って大事なのかな?
まぁ、訓練は1人でするものではないですからね。そこでの協調性が必要だったんでしょうか。


みーんな筋肉隆々で引き締まった体をしてました。訓練の賜物。
日に焼けた顔もキリっとしていて活き活きしてるんです。
今の若者には無い何かが秀でている。そんな感じでしたね。


「心情」のコーナーには手紙や日記などが一冊の本に纏められていました。
その一部を読ませてもらったんですけど、手紙を書いている当人が戦争に赴く準備をしているのにも関わらず
ご両親や兄弟の事を常に心配している。まるで学校の寮で普通に生活をしているかの様なんです。


私だったら出来るかな?自分のこれからの事で精一杯で、家族の事を思いやる気持ちなんてあるのかな?


読ませて頂いた手紙は特に妹さんを気に掛けていました。
優しいお兄ちゃんですね。その後は妹さんと逢えたのかな?読んでいて苦しくて苦しくて...
この時点で涙が止まらなくなってしまって。
幸い?な事に花粉症の症状が始まって来た所なので、泣いているの誤魔化せたかも。
最近は涙腺が緩くて困ります。


「窮迫」は土浦や阿見が空爆にあった時に実際にその場にいた方々の声を映像化したコーナー。
実際に戦争を経験された方ってどんどん少なくなっていきますよね。
こうやって残しておくのは大事。
遠い未来でも構わないので「戦争って何?どんな事だったの?」と言う世界になっていて欲しい。


恥ずかしいんですけど、土浦が空爆にあったって今の今まで知らなかったんです。
予科練記念館が建っている場所もB-29に爆撃されたそうです。


予科練生や一般の方達の命を沢山奪った。


自分が生まれ育った場所に悲しい過去があったなんて誰も教えてくれなかった。
知ろうともしなかった自分が悪いんですけどショックな話でした。


「特攻」のコーナーでは実際に敵艦に体当たりしていく映像が流れています。


もうね。普通の状態では見ていられません。


敵に突っ込んでいく寸前にはモールス信号を送る決まりになっていたそうで
その信号が途絶えた時には予科練生の命が尽き果てる。
その映像とモールス信号の音が恐ろしくて、悲しくて。


この映像を撮った方は冷静でいられたんだろうか?


もちろん大事な貴重な資料なんですけど惨い。
飛行機が砕け散る瞬間は目を背けてしまいました。20年余りの人生の閉幕がこんなんでいい訳ない。


何を想って体当たりしていったんでしょう。無念だったでしょうね。


1番最後に流れた映像が


おとうさん。


おかあさん。


ありがとうございました。


と言う文字。


もう誰に見られてもいいや!泣いてしまえ。


涙を流すまいと耐えていたので余計に溢れてきてしまって。
涙を流したのでスッキリするはずなのに、ココロの中は黒い何かがグルグル渦巻いていている感じ。
それを「うぁーーっ!」と吐き出したい!!
たった7分程の映像なのに物凄い虚脱感。
映像が終わった後も中々立ち上がる事が出来ずにいました。


こんな気持ちの中で更に追い打ちをかける出来事が。


案内係りの方から「本日は元予科練生だった方がみえているので宜しければお話聞いて下さい。」


初めてです。生きる証人の話を聞くの。


ここでの話は実際に聞いて頂きたいので割愛させて頂きます。
バイクで来ている方もいらっしゃいましたので、機会があればツーリングがてら寄ってみて下さい。


私から話すような軽々しい事ではありませんが、1つだけ最も心に響いた言葉をお伝えします。


「予科練生を2度殺さないで下さい。


1度目の死は国の為、日本国民の為に命を捧げた時。


2度目の死は皆さんから忘れ去られた時。


2度殺さない為にもここで見たもの、聞いたものを忘れずにいて下さい。」


この場では忘れないぞ!と思うんですけど、いつの間に忘れてしまうんですよね。
思い出すのは終戦記念日などで戦争の事を報道する時位でしょうか。


忘れないって難しい事だな。


6月10日が空爆を受けた日。


この日を忘れない為にも記念館に行く事にしよう。
携帯電話のスケジュールに毎年通知されるように設定しました。


予科練記念館を出て向かった先は「雄翔館」。


予科練戦没者の遺品などが展示してある別館です。


入り口には山本五十六氏の銅像が建っていました。


IMG_5368.jpg


扉を開けて中に入ると最初に飛び込んできたものは...


IMG_5398-crop.jpg


神風特攻隊に選ばれた子達の出撃目前の写真。


映画のワンシーンの様です。


この子達今から死にに行くんです。その様に見えますか?


この笑顔。清清しささえ漂ってます。


写真や死因や家族に宛てた手紙が纏められた物が何十枚も飾られています。


IMG_5382.jpg


IMG_5380.jpg


お父様に宛てた今生最期の手紙。


「二番目の飛行機を見て下さい。」


お父様に見守られながら旅立ったんですね。
ご家族の気持ち、どんなだったんだろう。
辛いなんて気持ちは通り越すんでしょうね。私には想像出来ない。


予科練生の憧れの七つボタンの制服も飾られていました。

IMG_5386.jpg


IMG_5394.jpg


こちらの鉢巻には「必墜」と書いてありますが、記念館には「必殺」と書いてある鉢巻が展示されていました。
「必ず殺す」という文字を頭に掲げるんですよ。その字を見てゾッとしましたね。


寄せ書きです。皆さんとっても達筆。字の綺麗さには驚きます。


IMG_5387.jpg


電熱線入りの飛行服。


IMG_5385.jpg


この時代にこんな物があったんですね。
私達ライダーには馴染みがあります。真冬は電熱ジャケットを着て走る方も多いんじゃないでしょうか?
不謹慎ながらも「おっ!」と思ってしまいました。


攻撃機の模型も展示されていました。


IMG_5391.jpg


IMG_5392.jpg


IMG_5384.jpg


黄色が予科練生の飛行機。
一人前のパイロットではないと一目で分かるようにしたのでしょう。
その他の飛行機は皆同じように見えてしまいます。


蝉太郎さんなら違いが分かるのかな?
この時代の飛行機にとっても詳しいって師匠が言っていました。


劣勢になった日本が作り上げた狂気(凶器)の人間魚雷「回天」の模型です。


IMG_5378.jpg


約1年間で撃沈させた敵艦はたったの3隻。


操縦もとても難しかったので敵艦に辿り着く前に故障や自爆で命を落とした若者も多くいたとか。


この作戦限りなく失敗に近いですよね。


もう1つの特攻機「桜花」。


IMG_5388.jpg


機首部分には1200㌔もの爆薬が搭載され、母機に吊るされて移動し目標物付近で切り離される。
その後は敵の空母などに体当たり。操縦士も含め、桜花自体がミサイルの役目を果たしているんです。


「飛ぶ棺桶」。


言葉は悪いんですがそう思ってしまいました。


体当たりする前に撃墜されたりする事が多く、実際に敵艦に突っ込んだ桜花はそう多くない様です。


更に酷いのがこちらの「伏龍」。


IMG_5393.jpg


見ての通り潜水して敵を待ち、浮上しながら敵の船に突っ込む。
長い棒のような物の先端に爆薬が仕込まれているそうです。
海の中はただでさえ動くのが困難ですよね。
それなのにこの潜水服は70キロ近くもあるので身動きが取れない。
おまけに爆発すると爆圧が酷くて近くにいる味方にもダメージが...


こちらはベニヤ板で作られた特攻艇「震洋」。


IMG_5379.jpg


ベニヤ板でって...


こうなってくると苦し紛れ、やけっぱち作戦。


「乗る飛行機がなくて余剰人員になっていた若者達を有効活用するために考案された兵器。」
が伏龍なんだそうです。


有効活用って何?


命の有効活用?


この世の誰にもそんな事する権利は無いのに。


特攻なんてこうなると何の意味も無い。ただ悪戯に若者の命を奪っただけ。
狂気の沙汰と言う言葉が最も似合うのが「戦争」じゃないでしょうか。


今までの話を踏まえて改めて見て下さい。



















IMG_5396.jpg


IMG_5395.jpg



胸が苦しくなりませんか?


命を捨てに行く若者達の写真。それに遺書。


10代後半から20代前半の子ばかりです。


「神風特攻隊は恐れられていた」なんて嘘。
特攻なんて効力があったのは微々たるものだったんです。
怖いのは精神論だけ。

神の名を盾にして暴力と殺戮を繰り返すある国。そこでも自爆テロが後を絶ちません。
ありえない位の命が犠牲になっています。


戦争とテロは根本的に違うはずなんですが...


太平洋戦争の頃の狂気に満ちた日本と、その国に何か通ずるモノがあるような気がしてなりません。


雄翔館を出ると


IMG_5399.jpg


戦車が...


何だかな。


自衛の為なんですよね?仕方ないのかなぁ。


雄翔館に隣接された庭園には予科練の戦没者の慰霊碑がありました。


IMG_5366.jpg


IMG_5367.jpg


IMG_5364.jpg


気分がどよ~んと沈んでしまったのでぱーっと走って気分爽快になろう!
と思ったんですがツーの行き先を決めてなかった。


海を見たら気持ちが変わるかな?とひとっ走り


IMG_5439.jpg


IMG_5435.jpg


したのですが、あまりにも寒くてゆっくりできずに秒速でUターン。
帰りがけに道の駅たまつくりで休憩をしたんです。


この選択が大正解!!


こんな夕焼けが出迎えてくれたんです。




















IMG_5410.jpg


コーヒーを飲みながらしばら~く霞ヶ浦を眺めていました。
この日は風がなく穏やかな日。
夕暮れ時だったのでちょうど凪に当たったのかもしれません。
湖面もツルツルで夕焼けが反射して桃色に染まっていました。


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IMG_5428.jpg


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IMG_5414.jpg


IMG_5431.jpg


心も穏やかになって落ち着いた所へ飛行機が飛んで来たんです。
それを見た瞬間、また思い出してしまった。予科練記念館での事。


空に散っていったあの子達も霞ヶ浦の夕焼け見てたのかな?


私と同じ様に「綺麗だな。」とうっとりしていたんでしょうか。


そんな事を考えていたらまた切なくなってきちゃった。


でも、これからは霞ヶ浦の夕焼けを見る度に思い出せますね。


元予科練生の方に言われた


「2度殺さない為にも忘れずにいて下さい。」


守れそうな気がします。


IMG_5383.jpg


                      
 予科練生を初め、戦争で命を落とした方々のご冥福をお祈り申し上げます



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この記事のコメント
  • []
こんにちは。
思わず涙が出てきました。

戦争で犠牲になった方やご家族の事を思うと本当に胸が詰まります。
人間は戦争をしないように進化していけない生物なんだろうかといつも考えてしまいます。

私もダブルと一緒に平和を考えるツーリングをする事があります。
平和資料館的な所はこの頃入館者が減っているみたいですね。
少しでも貢献できたらと思います(^^)

霞ヶ浦の夕陽、美しいですね。
2015-02-14 08:30 | URL | ピら手 #sSHoJftA 内容変更
  • []
私も涙が出てしまいました。

近所に住んでいながら、予科練平和記念館行ったことないんです。
というより、行くのをずっと避けています。
行ったことのある旦那から説明聞いただけで号泣してしまい、悲しすぎて見て回る自信がないんです。
一度は行ったほうがいいと言われているんですけど、踏ん切りがつかないです。
でも、いつかは子供を連れて行ってみようと思っています。
私も戦争は経験ないですけど、平成生まれの娘にはもっと現実味のない出来事だと思うので、一緒にいろいろ考えたいと思います。

霞ヶ浦の夕日とW650の写真を見て、気持ちが和みました。

今のこの平和な日本に生きていられる事が幸せだなぁと改めて思いました。
2015-02-14 12:24 | URL | まー #- 内容変更
  • []
死ぬまでには是非、訪れたいですね。

戦時中、米軍は日本の飛行機に
コードネームを付けていました。
HAMP,ZEKE、JACK,GEORGE,TONY、FRANK・・
中には、TOJO なんてのもありました。
これは、アメリカ人には分かり辛い日本語名を、
母国の一般的な人名を宛がったわけで、
日本で例えると、太郎、花子、次郎・・
みたいなものです。
「桜花」にもありました。
“BAKA”ですよ・・人の名前じゃないのです。
アメリカ人はそう感じたのでしょうね。
桜花は自力で離陸できないため、
大きな爆撃機の腹に吊り下げられ敵艦近くで切り離され突入するのですが、
そこへ辿り着く前に爆撃機ごと、ほとんどが撃墜されました。

写真にあります「白菊特別攻撃隊」
白菊とは写真に写っている飛行機名です。
勇ましい名前ですが、白菊は練習機なのです。
速度の遅い練習機が最新鋭の米軍戦闘機の迎撃を掻い潜る・・無理です。
悲惨ですね。

長く語ってしまいました。
すみませんでした。
それから、写真にある模型飛行機ですが、
機名・・全部わかりますよ。(笑)



2015-02-14 22:56 | URL | 蝉太郎 #7QSb/dQM 内容変更
  • [陸軍少年飛行兵]
ね、知らないでしょ?しぃさん。
海軍の予科練に相当する陸軍の学校です。
我父はそこの10期生でした。
忘れ去られる所か、存在すら知られてません。
やってた事は、まぁ、予科練と同等、悲惨さもまぁ、甲乙つけがたいのに、この差です。

色々父から、飛行兵の事は聞いているので語りますよぉ。。。そう言う意味では生き証人でしたからねぇ。。
>数学や英語などの教科も含まれていたんです
>最終的には1人で飛行機に乗るのに協調性って大事なのかな?

はい、よく聞くように!
飛行機は精神力では飛びません!当時最新鋭のメカの塊、知識なくして飛行機は飛びません!
当然、学力は必要です!特に数学は大事!
父が言ってました。軍隊とは、システムとして人殺しをする所だ。
飛行機を兵器として使うには、整備、通信、操縦士、それぞれの協力は不可欠です。
協調性、大事です!

妹の話が出たので、こっちも妹の話なぞ。
父にも7歳違いの妹がいまして、大変仲良しでした。
父もついに出征、と言う事になり、妹さん(要するに私の叔母さん)は、
「これが多分、生きて会う最後にななるだろう」
と思い駅に行ったのですが・・・
「同じように出征する兵隊だらけで、皆同じような軍服着てて、どこにお兄ちゃんがいるのか、もうわからなくて、泣きながら探したけど会えなくて・・・」
と思い出しても、半泣きで語ってました・・・

幸い、父は無事帰国。
だけど、もし、そのまま死んでりゃ、叔母さん多分、一生もんのトラウマになったでしょうなぁ。。

所で、父には子供の頃の写真、その他一切ありませんでした。
これは、父の両親(私の祖父母)が、もう2度と会えない子供の事を思い出すのは逆にツライ、と言う事で、処分してしまったそうです。
父が家に帰還した時、父の物は、たった一つ残された帽子だけが壁にかけてあったそうです。
2015-02-14 23:09 | URL | すらいむらいだー #- 内容変更
  • [定休日で、]
おひさしぶりでありました。
お元気そうで嬉しく思います。
予科練学校、数年前に訪れたらなんと、定休日、
また行きたいと思いました。わたしの亡きお爺さんは
横須賀基地の海軍兵でしたから、今でも軍服姿の写真が
残ってました。また、軍艦やら大砲なんかの写真も
あったものですから久しく見てました。
当時の思いはずっと忘れてはなりませんよね。
2015-02-15 06:55 | URL | 風まかせ #OARS9n6I 内容変更
  • []
初めまして♪
群馬でバイクに乗ってる、アルカリ乾電池と申します。
以前より読ませていただいてましたが、
今回の記事にとても感動したので、初コメしちゃいますo(^-^)

まず、霞ヶ浦のほとりにこのような施設があったとは、全然知りませんでした。
すばらしい情報をありがとうございます!
近いうちに出かけてみようと、強く思いました。

最後の方に載せてある、夕日の写真はすごくキレイですね♪
この夕日を、今日の私たちに残すため・・・と信じて、
少年たちは死んでいったのかと思うと、胸が苦しくなります。

また、「明日、死ぬ」と解っているのに、笑顔の写真。
覚悟と信念と、ある種の気高さを感じるとともに、
そういう子供たちを育て上げた、
教育の力と怖さを思い知らされますねぇ・・・(-.-;)

こういった施設には賛否両論、
右の人も左の人も、いろいろご意見があるんでしょうが(^-^;)、
こういう歴史があって、今の日本があるという事実から、
目を背けてはいけないんじゃないかと思いました。

ところでしぃさんは、靖国神社の敷地の中にある、
「遊就館」という博物館をご存じですか?

http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/

それこそ「靖国」の是非は別にして(笑)、
国内最高峰の戦争・戦史博物館だと思います。
こちらにも、特攻などで亡くなられた方々の遺影が飾られているのですが、
ボクもそれを見て、思わず涙した経験があります。
機会がありましたら、ぜひ出かけてみてくださいね(^-^)b

2015-02-15 09:46 | URL | アルカリ乾電池 #- 内容変更
  • [Re: ピら手様]
こんにちは!ご無沙汰しております。

> 戦争で犠牲になった方やご家族の事を思うと本当に胸が詰まります。

少年達の敵艦に体当たりしていくまでの想い
大事なご子息を失ったご家族の想い。
戦争を客観的にしか見られない自分ですが、非常に胸が詰りました。

> 私もダブルと一緒に平和を考えるツーリングをする事があります。

平和を考えられるのって幸せな事ですよね。
自分が置かれている状況が「平和」だからこそ出来る。
バイクに乗って美味しいものを食べにツーリングに行く。
こんな日々日常が当たり前の様に繰り返されますけれど
世界中には平和を知らずに生きている方々が多くいらっしゃいます。
それを想うと自分ってなんて贅沢な暮らしをしているんだろうって
考えさせられますね。

霞ヶ浦の夕暮れ時は
東の空は紺碧、西の空は水色とオレンジと桃色に
その先の筑波山は紫色に染まります。
それは美しい光景ですよ!機会があれば是非いらして下さい。
バイクで走るのには最高の場所です!

2015-02-15 13:44 | URL | しぃ #- 内容変更
  • [Re: まー様]
こんにちは!

> 私も涙が出てしまいました。

私が書いた記事で涙を流して下さる方がいるなんて...
嬉しいです!けどこの内容ですからね。悲しくなってしまうのは当然ですね。

まーさん。
土浦市に生を受けたんですから行かなければダメです。
悲しい歴史ではありますが、彼達がいたからこそ今の私達がある。
感謝の気持を持って娘さんと一緒に行って下さい。
大きな記念館ではありませんが、1つ1つをじっくりと見てしまうので意外と時間が掛かります。
時間に余裕がある時に行くことをお勧めします。
別館の雄翔館の遺品の数々は感慨深いです。こちらもお忘れなく。

泣いたって大丈夫ですよ!私も鼻水ブーブーで泣きじゃくって来ましたから。
大き目のハンカチ忘れずに持って行って下さい。

まーさんと一緒に走る日には霞ヶ浦湖畔もツーリングルートに入れましょう!
そろそろ春がやってきます。計画立てましょうね!!
2015-02-15 13:59 | URL | しぃ #- 内容変更
  • [Re: 蝉太郎様]
こんにちは!

> 死ぬまでには是非、訪れたいですね。

是非来て下さい!嫌だと言われてもご案内させて頂きます。

> 「桜花」にもありました。“BAKA”ですよ・・人の名前じゃないのです。

館内の記念品売り場にもプラモデルが置いてありました。
パッケージには「BAKA・BOMB」と大きく書いてありましたよ。
非常に嫌な気分になりました。何が馬鹿だ!!と。
でも、「国の為」と言って自分の命を投げ捨てる。
敵国ではそのような思想はないのですから、そう思われても仕方ないのでしょうか。
複雑な心境です。

> 写真にあります白菊は練習機なのです。

そうなんですか!それは知りませんでした。
練習機なんて敵艦に辿り着く前に打ち落とされるって本人達にも分かりますよね。
酷い。
白菊特攻隊の写真も殆どの子が笑顔なんです。
特攻隊が気になって色々と調べましたが出てくる写真が笑顔なんです。
何故でしょうか。この写真を見ると苦しくなってしまいます。

> 長く語ってしまいました。すみませんでした。

とんでもない!!もっとお話聞きたいくらいです。
当日は「この時はこうだった、この飛行機はああだった」と一緒に来ている方に説明をしながら
館内を見て回る年配の方がいて、私もその話に耳を傾けていました。
蝉太郎さんのように詳しい方と一緒に館内を回れたら、また違った見方が出来たんでしょうね。

今年は必ずそちらにお邪魔させて頂きます。
その時には大津島へ連れて行って下さいね。
蝉太郎さんのお話聞きながらじっくり見させて頂きます。

> 機名・・全部わかりますよ。(笑)

やっぱり!!(笑)
師匠と一緒に乗った電車の中に零戦のポスターが貼ってあったんです。
それを見た師匠が蝉太郎さんがこの当時の飛行機の事にすご~く詳しいんだって
教えてくれたんですよ!
2015-02-15 14:49 | URL | しぃ #- 内容変更
  • [Re: すらいむらいだー様]
こんばんは!

> ね、知らないでしょ?しぃさん。

はい。申し訳ありませんが知りませんでした。
酷い扱いなんですね。海軍、陸軍の差だけですよね。
命を掛けて国を守ったのに、人々の記憶に残る所か知られていないなんて。
どうしてそうなってしまったのか。無念でしょうね。

> 父が言ってました。軍隊とは、システムとして人殺しをする所だ。

お父様の言葉、怖い。
実際に戦争を体験している人でないとこの言葉は出てきません。

なるほど。確かに飛行機を操縦するのは並大抵はありませんからね。
そう考えると当時の若者は訓練だ、勉強だと休む暇など皆無だったんでしょう。
「月月火水木金金」はあながち嘘ではないんですね。

唯一の楽しみと言ったら「食べる事」で酒保で買って食べる甘いものや
日曜日の外出時に食べるうどんやあんみつだったのかな。
記念館には外出時の写真や絵が飾られていました。土浦市民は総出でもてなしたそうです。
なんという切ない一生なんでしょうか。恋愛もしたかったでしょうに。
女の子とすれ違っても見てはいけない決まりがあったそうです。
思春期真っ只中の健全な男の達です。目がいかない訳ないのに。

お父様、無事に帰還されてなによりです。妹さんも嬉しかったでしょう。
大好きなお兄ちゃんが無事で帰ってきたんですから。夢を見ているかの様だったんでしょうね。
お父様が命を落としていたら、すらいむらいだーさんは今存在しなかったんですよね。
そう考えると「生命」って凄い!ネット上の活字ではありますが私と交流しているのも奇跡に思えます。

私の父母は戦後の生まれ、母方の祖父は私が赤ん坊の頃に他界。
父方の祖父は寡黙な人。なので戦争体験者の話って実際に聞いた事なかったんです。
今回の記事をアップした事ですらいむらいだーさんや
蝉太郎さんから貴重なお話聞かせて頂き学ばせて貰いました。

ブログを始めてから色々な方達と知り合えた事もとっても嬉しく思うんですけど
コメントを通じて学ばせて頂く機会が増えました。
ブログを始めて本当に良かった!!と思います!!
2015-02-15 21:25 | URL | しぃ #- 内容変更
  • [Re: 風まかせ様]
こんばんは!

> おひさしぶりでありました。

お久しぶりです。風まかせさんもお元気そうでなによりです。

> 予科練学校、数年前に訪れたらなんと、定休日、

あらら。休館日にあたってしまったり、夕方の閉館時間にあたってしまったり
と言う方が多いようですね。月曜日が休館日のようです。
こちらに来る機会がありましたら、霞ヶ浦を走るついでに是非とも
「予科練平和記念館」へ訪れて下さい。
ただ、気分は相当暗くなってしまいますので覚悟を決めて来て下さいね。

> わたしの亡きお爺さんは横須賀基地の海軍兵でした

風まかせさんのお爺様は海軍だったんですね。
海軍の制服って白のイメージがあります。
肩や袖のあたりにラインが入っていて。
カッコいいですよね。

> 当時の思いはずっと忘れてはなりませんよね。

はい!毎日想い続けるのは非常に難しい事です。
ふとした瞬間でも構わないので思い出してあげる事。
そうすることが供養にも繋がるのではないのでしょうか。

2015-02-15 22:20 | URL | しぃ #- 内容変更
  • [Re: アルカリ乾電池様]
こんばんは!

> 初めまして♪

初めまして!以前からブログを読んで頂いていたんですね。
ありがとうございます!嬉しいですね。こう言って貰えると。

> まず、霞ヶ浦のほとりにこのような施設があったとは、全然知りませんでした。

地元の私でさえ、いつの間に出来たんだ?って感じですから。
凄く目立つ建物なんですが、何故か控えめな雰囲気です。
マイナーな茨城県らしいと言えばいいのでしょうか?実際に行って頂けたら
納得してもらえるはずです。国道125号線沿いにあるので場所は分かりやすいですよ!

> 最後の方に載せてある、夕日の写真はすごくキレイですね♪

はい!霞ヶ浦の黄昏時は素晴らしいです。特に今のような寒い時期の方がより綺麗ですね。
昨日の夕方は霞ヶ浦から富士山が見えました。
桃色に染まる空に黒く浮かび上がる富士山。絶景です。
「予科練平和記念館」へ訪れた際には霞ヶ浦湖畔を走って見て下さい。
ノンストップで走れますので記念館を見てどんよりした気分が、少しは晴れるかもしれません。

> こういった施設には賛否両論、右の人も左の人も、いろいろご意見があるんでしょうが(^-^;)、

おっしゃる通り!実は記事を書いたまでは良かったのですがUPするかは迷いました。
悩みすぎて気が付いたら明け方近くになってましたし。
戦争に対しては個々での想いの差が幅広くあるんですよね。
でも、私が記念館で見た予科練生の悲しい歴史は紛れもない事実。
それを見て私が感じた事も事実。なので思い切ったんです。
その結果、アルカリ乾電池さんのお気持ちを多少なりとも動かせたようです。
コメント下さったお陰で間違ってなかった!と思えました。ありがとうございます。

靖国神社はなんとなく敷居が高いような気がして行った事ないんですよ。
「遊就館」を博物館だと思って行けばいいんですよね。
そうすれば少しは気が楽になります。
私は田舎モノなのでバイクで都内を走る事が怖いのです。電車で向かう事にしますね!!

アルカリ乾電池さんは群馬県にお住まいなんですか!
四万温泉が大好きで何度か訪れています。
近くのダムの水の色や近くを流れる川の色の美しさに驚きました。
素敵な場所ですよね!!
2015-02-15 22:54 | URL | しぃ #- 内容変更
  • []
こんにちは。
そう、昨年行ったのはそこです。予科練平和記念館。
同行した嫁は特攻の展示室前で入口横に綴られていた
特攻に行く予科練生が母に当てた一文で既に臨界点に達してしまったので
その場所はあえて踏み入れず後にしました。

彼らの笑顔忘れられませんよね。
とても凛として清々しさまで感じます。
決して彼らが狂気だったのではなく、狂気の時代だったんですよね。
強いてあげれば、狂気は先導していた大人たち。
彼らはその時代の中で自身の『誠』を信じ、精一杯生きたんだと思います。
今の平和もそんな彼らの純真無垢な命が礎になっているわけですよね。
今を大事に生きて、この平和を次の世代に繋げなくては
彼らに顔向けが出来ません。

霞ヶ浦の夕日がとても綺麗ですね。本当に綺麗です。
その夕日、その綺麗な場所、それを持つ祖国
彼らは無欲でただ単にそれを護りたかっただけなのではないでしょうか。
だからこそ、あの凛とした清々しい笑顔が出来るないでしょうかね。
自分はそう信じています。

とても素晴しい記念館でした。是非多くの方々に来訪して頂きたいものです。
2015-02-16 08:50 | URL | momozo #- 内容変更
  • [Re: momozo様]
こんばんは!

> そう、昨年行ったのはそこです。予科練平和記念館。

やっぱりそうだったんですね。霞ヶ浦近辺で記念館と言ったら
思い浮かぶのは予科練記念館です。

> 彼らの笑顔忘れられませんよね。

はい。忘れられません。
あの一片の曇りのない笑顔。
見るたびにやりきれない気持ちになってしまいますが
命を掛けて私達を護ってくれた彼達は日本の誇りです。

> 霞ヶ浦の夕日がとても綺麗ですね。本当に綺麗です。

最近風が強くて湖面がざわついている日が多かったんですけど
当日は風も殆ど無く、見ての通りの美しい霞ヶ浦でした。
彼達も絶対に見ていたはずです。
この綺麗な夕日を見て故郷のご両親や兄弟のことを想ったのでしょう。
死への決意もこの夕日をみながら固めたのかもしれませんね。

> とても素晴しい記念館でした。是非多くの方々に来訪して頂きたいものです。

記念館外の公園では沢山の子供達が遊んでいました。
スケートボードに乗ったり、ボール遊びをしたり。
この場所が空爆にあった事も知らないんでしょう。
戦争体験者が少なくなった今、戦争の事を子供に伝えるのは親の役目です。
きっかけがないと戦争の話って絶対にしないですよね。

今、安全に遊んでいられるのは勇敢お兄ちゃん達が飛行機やお船に乗って
命を掛けて立派に戦ってくれたからなんだよ!って
お父さん、お母さん達が教えてあげて欲しい。
子供達がもうちょっと大きくなったら館内へ足を運んで欲しいと思いました。
2015-02-16 21:42 | URL | しぃ #- 内容変更
  • []
連投ごめんなさい。
特攻のイメージって、
飛行機に爆弾抱かせ敵艦に突っ込む・・でしょうか。
飛行機がB29に体当たりするというのもありました。
B29は高度1万以上で飛来します。
通常であれば迎撃機が迎え撃つわけですが、
日本の飛行機の性能では満足に1万以上上がれない。
それを知ってて、その高度で飛来するのですが・・
では、どうするのか?
機銃やら、防弾坂やら、飛ぶ事に必要ないものは、
全て取り外し、軽量化して高度を稼ぐわけです。
でも、機銃はないので、落とすには体当たりしかありません。
でも、高速で飛ぶ飛行機に飛行機を当てる事が困難なのは、
私でさえ容易に想像できます。
体当たり後は、落下傘降下するということになってましたが、
できると思いますか? 
中には、命綱の落下傘さえ軽量化の為に積み込まない隊員も
少なくなかったようです。 
ただ、何度か撃墜に成功し生還した強者もいますが・・
この戦法も敵に護衛機が付くようになりTHE・END。

ついでに、
軽量化してでも上がれる飛行機ならまだマシで、
終戦間際になると、日本にはロクな機体は残ってません。
上がってくる飛行機がなければ、迎え撃つ必要もないので、
機銃もいらない。 機銃がいらないなら機銃を外し、
軽くなった分、爆弾搭載量を増やす!!
そうして、日本は焼け野原と化す訳です。



2015-02-16 22:32 | URL | 蝉太郎 #7QSb/dQM 内容変更
  • []
拍手のみでしたから、コメは久しぶりだ(笑)

おっ!
記念館見学行ったんだ。
入口のワゴン販売してる、メロンパン食べた??
売り子が美味しいよーと、言ってましたよー
買おうとしたら、売り切れでしたから、
オレは食べてませんがw

懐かしいねー!!展示品の中に。
昔、持ってた同じ様な帽子やゴーグルが。

ちなみに、さとるがタイヤ履き替えたから
皮むきがてら走りたいらしいよー
誘ってあげてねーww
2015-02-16 22:46 | URL | ゆーき #tHX44QXM 内容変更
  • [死ぬ事は怖くなかった]
そうですよ。痛いのはヤだったそうですけど。
死ぬことに対して、特に、決心や覚悟する事もなかったんで、日常は普通にふざけたり、冗談行ったり、バカないたずらしたりしてたそうです。

父が言うには、この辺は、教育と言うより、多分、もって生まれた特性が多分にあるんじゃないか?
と言ってました。

こんな事があったそうです。
終戦して暫く後、田舎にいた父は、青年消防団のような所にいたそうなんですよ。(今でもありますね、そう言うの)
で、ある大風の夜、火事が出て出動した時、延焼を食い止めるべく、屋根に上がり、火に向かって放水していたら、隣で同じ事してた奴が
大風に煽られて、なんか奴凧みたいで、可笑しく俺笑ったら、後から
「死ぬかもしれないような時に笑う奴があるか!」
と怒られたんだけど、
「同じ事俺もしてたんだから、俺も奴凧みたいで死ぬかも知れない時だったんだけど、面白きゃ笑っちゃうんだよな」
なんて事言ってました。

命がアブナイのに、おかしきゃ笑う。
死ぬことが、怖くないからそこできるんでしょうなぁ。。
この辺の感覚は、想像ができませんなぁ。。。
2015-02-16 23:58 | URL | すらいむらいだー #- 内容変更
  • [蝉太郎さんにかぶせます]
すいません。

父の同期で、一日に2度B29にぶつけて落とした戦友がいたそうですよ。
3度目に出撃しようとしたら、さすがに止められたそうです。

大体が制空権を取られた後の戦闘機出撃なぞ、落とされない事で精一杯。その中で生き残った人の話では
「今、自分がどこで、味方がどこで、敵がどこにいるか、頭の中でリアルタイムで立体的に把握できていた」そうです。いったいどう言う頭をしておるのだ?

で。。。その人は戦後もパイロットをして、定年で引退。。その後、60の手習いで、バイクに挑戦しようとしたのですが、家族の猛反対をうけ、止めたそうです(私も面識がある人でした)
家族の反対の理由が
「戦争も生き延びたパイロットが、60過ぎてバイクに乗ってこけたら、すげー恥ずかしいから止めてくれ!」
ご家族の心配、よっくわかります。
が、バイク乗りの端くれとしては、ひじょーに残念な話ではありました。

2015-02-17 00:44 | URL | すらいむらいだー #- 内容変更
  • [Re: 蝉太郎様]
こんばんは!

> 連投ごめんなさい。

いえいえ!連投大歓迎ですよ!

> 飛行機がB29に体当たりするというのもありました。

もちろん飛行機に体当たりするのも知っていましたよ。
予科練記念館では敵艦へ体当たりしていく映像を見てしまったので
話がそちらへ流れてしまいました。

敵国では操縦不能になった時の為に、飛行機から脱出できる設計になっていたそうですね。
当時の日本の技術力ではそこまでの設計は出来なかったようです。
もう少し技術があれば、多少なりとも助かる命は増えたのではないかと。
たらればを言っても死んでしまった人達が、生き返る訳ではないので
仕方がないんですけどね。

>軽くなった分、爆弾搭載量を増やす!!そうして、日本は焼け野原と化す訳です。

敵もこの頃になるとだいぶ楽だったんでしょうね。
放っておいても勝手に自分の住む国を焼け野原にしてしまうんですから。
自分達で撒いた種。愚か過ぎますね。

インスタグラムのフォロワーさんも鹿児島県の知覧特攻平和記念館へ行ったとUPしていました。
このような施設は各地にあるんですね。知りませんでしたよ。
零戦を復活させるプロジェクトもあるみたいですよ!
日本の空を零戦が飛ぶ日も間近だそうです。
楽しみだけど、複雑な気持ちです。
2015-02-17 23:06 | URL | しぃ #- 内容変更
  • [Re: ゆーき様]
こんばんは!

> 拍手のみでしたから、コメは久しぶりだ(笑)

お久しぶりです!
もしかして明けましておめでとうございます!
なんじゃないですか?

行ってきました!予科練記念館。
もっと早く行くべきでしたね。
こんなに近くにあるのに。
辛い気持ちにはなりましたけど、色々と考えさせられました。
また、来年行こうと思います。

そういえばワゴンありましたね。
メロンパンって何処でも名物になっちゃうんですね。
鹿島スタジアムで売っているメロンパンはテレビでも放送されましたよ。
味はいたって普通なんですけどね。

さとるさんの件は了解しました!連絡してみます。
今度の日曜日は暖かくなりますよ!確か15℃位になる予報です。
小春日和ですよ~!ゆーきさんは走らないんですか?
お蕎麦でも食べに行きせんかね?

2015-02-17 23:18 | URL | しぃ #- 内容変更
  • [Re: すらいむらいだー様]
こんばんは!

命が尽きるまでの過程が怖いんであって、その瞬間って怖くないのかもしれません。
以前、バイクで事故を起こした時は、「あ~!!ダメだ~!!」と思ってからの
記憶が殆どありません。突っ込む瞬間の記憶もうっすらとしかありません。
あと少しずれていたら、電柱にぶつかってご臨終。
だから命が尽きる時ってあっけないんじゃないのかしら?と思う訳なんです。
怖いなんて思っている暇もなかったですしね。
でも、今逝けと言われたら絶対にできません!!
放っておいてもお迎えがやって来ますので、その時は安らかに逝くつもりです!

手術で全身麻酔をした時も、目の前がパッタって真っ暗になって。
術後目が覚めた時には「死ぬときってこんな感じだろうな。」と思いました。
凄く気持ちが良かったんですよね。ふか~く眠った感じです。
名前を呼ばれて目が覚めたのですが、もっと寝せてよ~!!って怒ってしまいそうになりました。

> 命がアブナイのに、おかしきゃ笑う。

緊迫している時って、何故か可笑しくなってしまうの分かります。
多分ですけどこれって緊張から逃げ出す方法なんじゃないのかなって感じますね。
人間が生まれ持った予防策と言うか...
笑うと緊張から開放されます。
笑ってごまかしているのかも知れませんけど。
2015-02-17 23:49 | URL | しぃ #- 内容変更
  • [Re: すらいむらいだー様]

> 戦後もパイロットをして、定年で引退。。その後、60の手習いで、バイクに挑戦しようと

これは応援したかったです!
60歳を超えてからバイクの免許を取ろうと思ったなんて凄い!
実行に移さなかったようですが、その意気込みがカッコいいです!

いくら腕のよいパイロットとは言え
バイクを運転する技術にも長けているとは限りませんからね。
ご家族が反対する理由も分からなくもないです。せっかく紡いだ命がね。
飛行機じゃなくてバイクで奪われたらたまったもんじゃありません。

でも実現してもらいたかったな。
飛行機で風を切る感覚とは違った感覚。
バイクに乗って感じて欲しかった!
バイクの素晴らしさも知って欲しかったですね!
2015-02-18 00:01 | URL | しぃ #- 内容変更
  • []
こんにちは。
予科練には歩いて行けるような近さに住んでいるのですが、実は記念館には一度も行ったことありません。
いつでも行けるし、と思うといつになっても行かないんですよね・・。

ただ雄翔館には何度か行ったことあり、去年の春、ちょうど1年前にも行きました。
私もあの笑顔の少年たちの写真はとても印象深く、今でも覚えています。
なんでそんな笑っていられるのか、不思議でなりませんでした。

記念館、今度ちゃんと行ってみたいと思います。




あと、もしかしたらその日、しぃさんとバイクですれ違ったかもしれないです!
ちょうど記念館前の道路で。
一瞬だったのであいまいですが、似たような色合いのバイクに細身の方が乗っていたので。
この記事読んで、もしかしてあの時のバイク!?と思いました。
違ってたらごめんなさい!
2015-02-19 01:40 | URL | きき #- 内容変更
  • [Re: きき様]
こんばんは!

> いつでも行けるし、と思うといつになっても行かないんですよね・・。

その通り!行こうと思えば明日にだって、明後日にだって行ける距離なんです。
だから足が遠のく。今はバイクであまり長距離が走れないんです。もちろん寒いから。
この時期を利用して、近くの記念館や博物館に行こう!って思ってます。
土浦市の郷土資料館、次は坂東市の自然博物館へ行くことを予定しています。
走った後、館内なら暖かいですからね。

> 私もあの笑顔の少年たちの写真はとても印象深く、今でも覚えています。

ですよね。忘れらないです。と言うか忘れてはいけないんです。
私はインスタグラムにUPしました。そうすればいつでもあの少年達の
写真を見ることが出来ます。来年は爆撃を受けた日に近い時期に訪れたいですね。
敬意を表したんですけどお花を持って行く事くらいですかね。私に出来るのは。

> もしかしたらその日、しぃさんとバイクですれ違ったかもしれないです!

あら!そうなんですか。良く気がついてくれました!
バイクですれ違ったと言う事は、ききさんもバイクを購入したんですね。
おめでとうございます!!
寒い中頑張って走ってますね。事故等にはお互い十分気をつけて楽しいバイクライフを送りましょう!
2015-02-19 17:59 | URL | しぃ #- 内容変更
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